歴史

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明治20年に銀座木挽町(築地近く)で創業。 初代の遠藤長宗が現在の横浜駅近くの日本料理店「吉野」で働いていました。その店名をいただき、東京木挽町(現在銀座)で「吉野鮨」が誕生しました。大正時代の関東大震災に見まわれ店は全焼しましたがすぐに再起しました。そのあと、2代目遠藤清次、3代目遠藤昇に継ぎました。 昭和のはじめに魚河岸が日本橋から築地に移り、戦後の経済成長時代と共に吉野鮨も営んできました。 平成12年6月に4代目の遠藤斗紀雄に引き継がれ平成19年11月に広尾・恵比寿に移転しました。 |
| 江戸前すしの歴史は江戸と関西では少々異なります。 |
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関西では約1500年程前ごろから近江の鮒すしを食べ始めたと言われています。 琵琶湖の湖畔で鷺などの渡り鳥が源五郎鮒を鳥の巣に持ち帰り、それが発酵していたのを猟師が食べてみたところ旨かったので、土地のものが見よう見まねで作り始めたと言われています。 僕も食べたがあれは旨い。いや少々風味が強いので食べるときは少しづつ召し上がることをお勧めします。 とても高価なもので究極の味です。なれ寿司はやはり、この近江の鮒すしが絶品ですね。 |
| 江戸前は関東では今から約300年ほど前、太平洋の三陸海岸沖で鮪が沢山取れたことがある。これを当時の医学者で松本善保氏と「興兵衛ずし」が鮪を保存するにはどういう方法が良いか知恵を絞り、醤油とみりん割のもとにまぐろをつけこむ「ずけ」という物が生まれました。なにしろ当時は氷なんて高価でしたから煮るか塩で殺すかお酢で絞めるのが普通でした。 |
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江戸前鮨の起源はいろいろ文献等に記載はありますが1818年に両国の「興兵衛ずし」が考案されたと説があります。 初代・花屋興兵衛氏(1799~1858)が「興兵衛ずし」を世の中に広めたとされる。1799年生まれ59才で他界。その後、江戸時代に屋台出現、明治から大正に移り昭和の初頭から戦争をさかいに段々と今の姿の江戸前鮨になる。戦争当時はGHQの衛生指導で室内で立食時には金網を張ることもありました。 |
